慈 – JI –

慈

自他の境界を超えた真の慈悲心を育む

Growing true compassion that goes beyond self and others.

辻に立つ石の笑みに供えられし 小さき花我と汝(なれ)を隔つるは薄き一枚の皮のみ

選字の背景: 地域によっては地蔵盆が行われる日。共同体の中での慈しみの心に光を当てる。

地蔵盆は、子どもたちの健やかな成長を願い、地域の地蔵菩薩を祀る素朴で温かな行事です。詩の前半は、道端のお地蔵様に手向けられた一輪の花、その何気ない光景に宿る人々の祈りや優しさを描いています。

この「慈」という漢字が示すものは、単なる同情や哀れみではありません。仏教における「慈悲」の「慈」は、生きとし生けるものすべてに楽しみを与えたいと願う、積極的で普遍的な愛を意味します。「悉有仏性」(しつうぶっしょう)という教えの通り、すべての存在には仏となる可能性が秘められていると仏教では説きます。この視点に立てば、他者の喜びは自らの喜びであり、他者の苦しみは自らの苦しみとなります。

詩の後半、「我と汝を隔つるは 薄き一枚の皮のみ」という一節は、自と他の区別が本質的には存在しないという禅的な真理を示唆しています。現代社会では、個人主義が進行し、他者への無関心や孤独が深刻な問題となっています。しかし、地蔵盆のような共同体の営みの中に、私たちはこの真理を垣間見ることができます。他者の幸せを願う心が、巡り巡って自らの心を温める。その慈しみの環を、まずは身近なところから広げていくこと。それが、分断された時代における、私たちの静かなる実践です。

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