私の庵の傍らを流れる沢のせせらぎは、日々の息遣いそのものです。
この「水源」から湧き出る清冽な水を汲み、墨を磨るひととき。それは、単に文字を書くための準備ではなく、私自身の心を洗い清め、万物の根源と繋がるための静かな儀式です。
「水源」という言葉は、ただ水の始まりだけを指すのではないと感じています。それは生命の、そしてあらゆる創造の原点。私が紙に向かい、筆に込める一滴の墨も、この源流から大海へと至る大きな流れの一部なのです。
世界では気候が揺らぎ、時に水は猛威を振るい、またある場所ではその枯渇が叫ばれる。そんな今だからこそ、足元で絶え間なく湧き続けるこの静かな水源の、なんと尊いことか。
この源を守り、その清らかさを一筋の線に込める。それが、現代(いま)を生きる書家としての私の務めなのでしょう。そして、誰もが自分自身の内なる「水源」、つまり心の源泉を見つめ直す時なのかもしれませんね。