
真の閑とは無為ではなく、心の自由
True leisure is not mere idleness, but freedom of the mind.
選字の背景: 週の終わり。慌ただしい日々の中で、真の「ひま」とは何かを考える。
「閑」という字を見ると、私たちはすぐに「閑人」、すなわち「ひま」な人を思い浮かべます。しかし、禅語における「閑」は、単に仕事がなく手持ち無沙汰である状態を指すのではありません。それは、あらゆる執着やとらわれから解放された、自由で融通無碍な心の境地を意味します。
真に「閑」である人は、たとえ多忙な日々の只中にあっても、その心は常に静かで自由です。逆に、時間を持て余していても、心が欲望や不安に縛られていては、それは「閑」とは呼べません。詩は、物理的な時間の有無ではなく、心の状態こそが「閑」の本質であることを示しています。自ら意識して作る「一瞬の隙間」にこそ、その自由な境地への入り口があるのです。
現代人は「タイムパフォーマンス」を重視し、常にスケジュールを埋め、効率を追い求めがちです。しかし、そうした生き方は、心をすり減らし、本当に大切なものを見失わせる危険を孕んでいます。赤口の今日は、急いては事を仕損じると言われます。慌ただしい金曜日だからこそ、意識して呼吸を整え、茶を一杯飲む時間を作る。その僅かな「閑」のひとときが、私たちの心に広々とした空間を取り戻し、週末を、そして人生を、より豊かなものにしてくれるでしょう。
