観 -KAN-

観 KAN かん 家禅 IEZEN.JP

主観を離れ、物事の本質を静かに観照する

Free yourself from subjectivity and quietly contemplate the true nature of things.

選字の背景:「見る」のではなく「観る」。主観を離れ本質に触れる。

秋の陽光が部屋に差し込み、静かな光の四角を描く時。その中を、一粒の塵(ちり)がきらきらと舞っています。その光景を、良いとも悪いとも判断せず、ただ静かに眺めていると、心もまた、その塵のように軽やかになるのを感じます。「観」という文字は、コウノトリ(雚)が獲物をじっと見(見)つめる姿から生まれたと言われます。それは、感情や思考を交えず、対象になりきって、ただそのものの有り様を観察する、深く、集中した見方です。私たちが普段、好き嫌いや損得といった主観(フィルター)を通して物事を「見ている」のとは、質の違う行為です。禅の修行とは、まさにこの「観」の稽古です。坐禅を組み、心に浮かんでは消える思考や感情を、良いとも悪いとも判断せず、ただ、静かに観つづける。自分自身と一体化せず、距離を置いて観照することで、私たちは、それらが実体のない幻であると気づき、とらわれから解放されるのです。それは、書においても同じです。紙を観、墨を観、そして、これから生まれようとする線を、先入観なく観る。その澄んだ心の眼差しがあって初めて、筆は迷いなく、本質を突く一本の線を引くことができるます。

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