自我を忘れ、大いなるものと一体となる
To forget the self and become one with the Universe.
選字の背景: 週末の静かな時間。自己という存在を深く見つめ、それを超えていく。
「忘」という文字は、通常、記憶を失う、失念するといったネガティブな文脈で使われます。しかし、禅や道教の世界では、この「忘」は、極めて積極的で、高次な精神活動を意味します。荘子が説いた「坐忘」(ざぼう)がその代表です。
「坐忘」とは、静かに坐し、自らの身体や知識、そして「我」という意識さえも忘れ去り、万物と一体化する境地を指します。詩は、この坐忘の境地を描写しています。私たちが「自分」だと思っているものは、実は、様々な記憶や経験、社会的な役割などによって構築された、仮の姿に過ぎません。その「我」への執着こそが、私たちの苦しみの根源であると、仏教では考えます。
坐禅の実践は、この「我」を意識的に忘れ去るための訓練です。思考が浮かんできても、それを追いかけず、ただ流れていくに任せる。身体の痛みや不快感にもとらわれない。そうして、主観と客観の対立が消え去った時、私たちは、詩の結びにあるように、「宇宙と一つになる」という、広大で安らかな体験を得ることができるのです。日々の生活の中で、私たちは常に「我」を主張し、守ろうと必死になっています。しかし、時には、この「忘」の実践を通して、その小さな自己から解放され、大いなる生命の流れに身を委ねてみること。それが、真の心の自由へと繋がる道なのです。