彼岸と此岸は隔てなく、今ここに道はある
The shores of enlightenment and illusion are not two; the path lies in the here and now.
選字の背景: お彼岸の中日。昨日の「彼」に続き、「岸」という文字を通して、悟りの境地をさらに探る。
昨日の「彼」に続き、本日も彼岸に因んだ「岸」という一文字を取り上げます。私たちは、苦しみの「此の岸」から、悟りの「彼の岸」へ渡ることを目指します。そのために、修行という「舟」を必死に漕ごうとします。
しかし、この詩は、その努力そのものが、かえって私たちを悟りから遠ざけてしまう危険性を指摘しています。「悟りたい」「到達したい」という強い思いは、それ自体が「執着」という新たな煩悩を生み出します。禅の逸話に、川を渡り終えた僧が、それまでお世話になった筏を、感謝しつつも岸辺に置いて、次の旅へと向かう話があります。修行の手段や教えそのものに執着してはならない、という教訓です。
究極的には、此岸と彼岸という二つの「岸」は、別々に存在するものではありません。迷いの心で見れば此岸、悟りの心で見れば同じ場所が彼岸となるのです。詩が言うように、必死に舟を漕ぐことをやめ、一度「舟を降りて」みること。そして、今自分が立っているこの場所こそが、探し求めていた目的地であったと気づくこと。それが、禅における悟りの一つの姿です。お墓参りに行き、ご先祖様と向き合う時、私たちは、生と死、此岸と彼岸が、実は地続きであり、互いに深く関わり合っていることを、直感的に理解するのかもしれません。