沐-MOKU-

moku沐

慈雨を浴び、凝り固まった自我の汚れを洗い流す

Bathed in gentle rain, I wash away the stubborn impurities of my hardened ego.

選字の背景:恵みの雨に身を任せ、心の汚れを清めゆく。

「沐」という文字を眺めてみてください。左側には「水(さんずい)」、右側には「木」。これは、木々が天からの恵みの水を全身に浴びて、瑞々しく潤う姿そのものを表しています。また、古くは「髪を洗う」という意味もあり、心身に溜まった不要なものを綺麗にそぎ落とす清めの行為を指してきました。私たちは日々の生活の中で、知らず知らずのうちに「こうあるべきだ」というプライドや、他者への猜疑心、あるいは「自分が正しい」という頑なな執着――禅の言葉でいう「我執(がしゅう)」という心の汚れを溜め込んでしまいます。それはまるで、乾いた土がカチカチに固まってしまうようなものです。私が幼い頃、長距離の選手として泥まみれになりながらトラックを走っていた頃、激しい夕立に打たれることがありました。最初は不快に感じても、そのまま走り続けるうちに、身体の熱も、勝敗への焦りも、すべて雨が綺麗に洗い流して流失させてくれるような、不思議な爽快感を覚えたものです。大学で書道と禅に出会い、静かに墨をすり、真っ白な紙に向き合うようになってからも同じでした。自分の技術を誇ろうとしたり、良く見せようとしたりする「自我の汚れ」があるうちは、決して美しい線は生まれません。天から降る慈愛の雨のように、すべてを素直に受け入れ、自分を一度空っぽにする必要があるのです。雨を「憂鬱なもの」として拒むのではなく、自らを清めてくれる「慈雨」として全身で浴びてみる。凝り固まった自我を洗い流したとき、私たちの心には、本来の清らかな素肌が戻ってきます。六月の長雨が続く今日。もしあなたが、人間関係に疲れ、自分の心がかたくなになっていると感じるなら、その痛みを無理に抱え込まず、この季節の雨の響きに身を委ねてみてください。他人の評価も、過去のこだわりも、すべては自然の流れが洗い流してくれます。雨上がりの木々がひときわ鮮やかな緑を放つように、自我をそぎ落としたあなたの魂は、ここからまた新しく、最も純粋な輝きを放ち始めるはずです。

タイトルとURLをコピーしました