あるがままの現実を静かに受け入れる
Calmly embrace things as they are.
選字の背景:一週間の終わり。様々な出来事を、ただ「あるがまま」に受け止める心の稽古。
「如」という一文字は、単独で用いられる場合、「あるがままの姿」「真理のありのままの姿」を意味します。仏教用語では、この状態を「真如」(しんにょ)あるいは「如実知見」(にょじつちけん)と言い、物事を主観的な判断や感情を交えずに、ありのままに認識することを指します。
私たちは、日常的に、あらゆる出来事に対して、「良い」「悪い」「好き」「嫌い」といった、自らの「物差し」を当てはめて判断しています。雨が降れば憂鬱になり、晴れれば喜ぶ。しかし、雨や晴れそのものに、本来、良いも悪いもありません。それは、ただの自然現象です。私たちの苦しみの多くは、この「あるがまま」の現実と、「こうあってほしい」という自分の願望との間のギャップから生まれます。
禅の修行は、この「物差し」を手放す訓練であると言えます。坐禅を通して、次々と湧き起こる思考や感情を、ただ「そうである」ものとして観察し、それにとらわれない練習をします。この「如」の精神を身につけることで、私たちは、人生で起こる様々な出来事に一喜一憂することなく、常に穏やかな心を保つことができるようになります。それは、無感動になることではありません。むしろ、あらゆるものをありのままに受け入れることで、世界はより鮮やかに、その本来の輝きをもって私たちの前に現れるのです。