
執着を手放し、終わりを始まりとして受け入れる
“Letting go of attachment, and accepting the end as a beginning.

選字の背景: 八月の最後の日。また、古くから台風の厄日とされる二百十日にもあたる年もある。一つのサイクルの終わりと、次への移行を意識する。
「終」という文字には、物事の結び、最後といった意味があります。八月の最終日である今日は、多くの人にとって、夏の終わり、あるいは夏休みの終わりを意味し、一抹の寂寥感を伴う日かもしれません。
しかし、禅の視点に立てば、「終わり」は決して否定的なものではありません。それは、一つの区切りであり、次なる段階へ進むための必然的なプロセスです。「諸行無常」(しょぎょうむじょう)の理の通り、この世のすべてのものは常に変化し続け、永遠不変なものなど一つもありません。一つの状態が「終わる」からこそ、新しい状態が「始まる」ことができるのです。
禅の教えに「放下着」(ほうげじゃく)という言葉があります。これは、あらゆる執着やこだわりを、ぽいと投げ捨ててしまいなさい、という教えです。過ぎ去った夏への執着、達成できなかったことへの後悔、そういったものをいつまでも抱えていては、軽やかに次の季節へと歩みを進めることはできません。詩に「終わりは終わりにあらず 次なる円環の始まり」とあるように、終わりは直線的な終点ではなく、円環上の新たな出発点なのです。二百十日という、自然の厳しさに備える日でもある今日、私たちは、変化という自然の摂理を受け入れ、潔く一つの季節を終える。その清々しい心の姿勢こそが、来るべき嵐にも揺るがない、確かな備えとなるでしょう。