
心の塵を払い、新たな始まりに備える
Sweeping away the dust from your heart to prepare for a new beginning.

選字の背景: 夏から秋へと季節が移る気配。身辺を整え、心を新たにする時。
禅寺の朝は、作務(さむ)、すなわち掃除から始まります。それは単なる物理的な清掃作業ではなく、自らの心を磨き、修行を深めるための重要な実践と位置づけられています。落ち葉や埃を掃き清める行為は、そのまま、心に積もった執着や雑念といった「塵」を払い除くことの比喩となります。
詩は、その作務の精神を日常生活の中に映し出しています。箒目が描く美しい紋様のように、整然と掃き清められた心には、静けさが訪れます。そして、その静寂の中に現れるのが「本来の面目」(ほんらいのめんもく)、すなわち、何ものにも汚されていない、生まれ持ったままの純粋な自己の姿です。
季節が夏から秋へと移ろうとするこの時期は、いわば自然界の大掃除の時でもあります。私たちは、衣替えをしたり、夏の間の疲れを癒したりと、次の季節への準備を始めます。それと同じように、心の領域においても「掃」の実践が求められます。過ぎ去ったことへの後悔、未来への不安、他者への不満。そうした心の塵を丁寧に掃き出すことで、私たちは初めて、澄み切った秋の空のような、晴れやかな心で新たな季節を迎えることができるのです。友引の今日は、良き友と語らうように、自らの心と静かに対話し、その内を清めるのにふさわしい日と言えるでしょう。