
物事の本質をありのままに見つめる明晰さ
The clarity to see the essence of things as they truly are.

選字の背景: 二十四節気の一つ「白露」に近づき、草葉に露が宿る頃。その一滴の透明さに真実の姿を見る。
秋が深まるにつれ、大気中の水蒸気が冷やされ、草木の上に美しい露が結ばれるようになります。この「露」という漢字は、禅語においては「露堂々」(ろどうどう)という形でよく用いられます。「あらわになる」「むき出しになる」という意味を持ち、真理が何ら隠されることなく、ありのままに現れている様を示します。
詩に詠んだ草葉の先の露は、まさにその象徴です。それは、何の飾りもなく、ただそこにあるがままの姿で、周囲の景色を映し込み、朝日を浴びて煌めきます。その小さな一滴の中に、私たちは「大千世界」、すなわち宇宙全体を見ることができるのです。これは、一つのものの中にすべてが具わっているという、華厳経の思想にも通じます。
私たちは、物事の本質を見ようとせず、自らの思い込みや偏見という色眼鏡を通して世界を見てしまいがちです。しかし、この「露」の一文字は、そうした心のフィルターを取り払い、物事をただあるがままに見つめることの大切さを教えてくれます。自分自身の生身の姿を赤裸々に、逃げも隠れもせず、すべてをさらけ出す。その潔い姿勢に立った時、私たちは初めて、自他との間に真の関係性を築くことができるのです。