堪-TAERU-

taeru堪

堪え忍ぶ力こそが、精神の器を極限まで大きく広げる

The power to endure is what expands the capacity of the mind to its absolute limits.

選字の背景:重荷に堪える姿こそ、美しき器を成す土台。

人里離れた我が家の軒先から滴る雨だれが、近くの水源へと注ぐ静かな音が響いています。「堪」という文字を紐解くと、偏の「土」に、つくりの「甚(はなはだしい、重い負荷)」が組み合わされています。これは、激しい嵐や重い負荷を、大地(土)がどっしりと受け止め、こらえ果たす姿を表しています。私が幼い頃、長距離の選手としてがむしゃらに走っていた頃、肺が破れそうなほどの苦しさに直面するたび、「もう一歩だけ堪えよう」と己に言い聞かせていました。また、大学で書道と禅に出会い、大切な師匠のもとで何千回、何万回と墨をすり、思い通りの線が引けずに苦悩したときも、その「堪える」時間が私の根底を支えてくれました。走る苦痛も、芸の苦悩も、その渦中にいるときは辛いものです。しかし、堪え忍んだ後にふと振り返ると、以前よりも一回りも二回りも大きな自分に出会うことができます。禅の世界には「忍辱(にんにく)」という深い教えがあります。苦難をじっと耐え忍ぶことは、単なる我慢ではなく、自らの心を磨き、器を広げるための尊い修行であるという意味です。苦難という水が突然注がれたとき、器が小さければすぐに溢れてしまいます。しかし、堪えることによって、私たちは自らの精神の器をぐぐっと押し広げ、より多くの智慧や優しさを蓄えられるようになるのです。堪えるとは、縮こまることではありません。次に訪れる大きな恵みや、誰かの哀しみを受け止めるために、自らの「心の器」を極限まで広げる行為なのです。六月の重たい空気の中、仕事や人間関係、あるいは自分自身の限界に対して「もう限界だ」と感じることがあるかもしれません。ですが、今日のその踏ん張りこそが、あなたという人間の深みを形成しています。今、あなたが堪え忍んでいるその痛みの分だけ、あなたの器は広がり、やがてどんな嵐をも丸ごと包み込めるほどの、しなやかで美しい強さへと変わっていくはずです。

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